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持地院の歴史
応永三年(西暦1396年)
明治二十七年(西暦1894年)
大正三年(西暦1914年)
昭和十八年(西暦1943年)
昭和三十年(西暦1955年)
平成四年(西暦1992年)
理元禅師が小湊領にて布教、領主の蒲池勝太夫の帰依を受け、一宇を創立し、観音経 の中にある「持地菩薩(=地蔵菩薩)」の名前をいただいて、「持地院」と名付ける。創立後、小湊海岸を大津波が襲い、多くの死傷者をだす。理元禅師はときの領主とともに救済に当たられ、その後冥福を祈るために持地菩薩を理元禅師自ら作り、地蔵堂を建て、以後ご本尊として祀る。この持地菩薩が「森の山地蔵尊」となり、その後長らく守られ続ける。
10月22日、庄内大地震が発生。多くの死傷者をだし、持地院の本堂・庫裏も倒壊。当時の住職である宗渕和尚は、寄進を集め、大震災による死者と日清戦争の戦病死者を弔うために釈迦牟尼仏像を建てることを発願。
明治二十七年に発願された釈迦牟尼仏像が建立。通称「酒田大仏」。
6月1日、曹洞宗大本山永平寺貫主森田悟由禅師をお迎えし、盛大に開眼供養を執り行う。
太平洋戦争末期の金属回収令により、酒田大仏が供出させられる。
10月9日、若草幼稚園が開園、同年10月24日に国の認可を受け、正式に幼稚園に。以降、令和三年現在、卒園生は6500人を超える。
宗光和尚により、酒田大仏が再建される。6月7日、曹洞宗大本山永平寺貫主丹羽簾芳禅師が大導師となり、盛大に開眼供養を執り行われ、開眼を祝して「大慈悲心」の書が持地院に贈られた。
持地院の宝物
酒田大仏
初代酒田大仏
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