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森の山まつり

持地院では、毎年8月23日から25日に、「森の山まつり」を盛大に執り行っております。その「森の山まつり」について、歴史と共にご紹介いたします。

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「森の山まつり」とは

持地院の「森の山まつり」は、620年前から多くの信者の手により灯明やお花が添えられ、線香の煙りも絶えることなく続いてきました。

酒田の夏の夜会式(よいしき)の最後を飾る「森の山まつり」。夜間はライトアップされた酒田大仏が見守り、沢山の行灯が並ぶ参道には、閻魔大王様が裁判している地獄絵が掛けられております。さらに本物の閻魔大王と鬼達が登場する「地獄の裁判所」が開設され、「森の山まつり」の一大アトラクションになっております。加えて、飲食物やお子さん向けの屋台も出ており、地域住民の多くの方が集まる一大行事となっております。

この「森の山まつり」を詳しく知るために、いくつかのキーワードをご紹介しながら、ご紹介いたします。

 「持地菩薩」

持地院は、応永三年(西暦1396年)に、理元禅師により開創されました。「持地院」の名前は、地蔵菩薩(いわゆるお地蔵さん)のことを指す「持地菩薩」から名付けられております。
持地院の歴史はこちらのページもご覧ください>>>
開創された頃、大津波が古湊海岸を襲い、一夜にして多くの犠牲者がでました。この惨状の中、理元禅師は領主と共に住民の救済にあたられました。そして、亡くなられた犠牲者のご冥福を祈るため、理元禅師自ら、持地菩薩、すなわち「森の山地蔵尊」を作られ、お祀りされました。
持地院にある地蔵堂には、ほかにも無縁の精霊を救済する無縁地蔵尊、精霊の歯・骨を守護する歯骨地蔵尊、子供を守護する子守地蔵尊の三尊も祀られております。

 「森の山」

森の山地蔵を祀っている地蔵堂は、開創した場所から持地院が移転すると共に、一緒に移転してきました。具体的には、古湊から本町、二番町、日吉町と移転してきているのですが、移転のたびに信者によって砂が盛られ、松を植えて、地蔵堂を建て直して、森の山地蔵をお祀りしてきました。(このため、森の山を盛の山とも呼んでいました)
日吉町に移ってきたときの地蔵堂は、現在の山形地方裁判所酒田支所の場所にありました。その後、大正3年(西暦1914年)に酒田大仏が建立されたのちに今の場所に移されました。

「精霊の集う場・とき」

「森の山まつり」は、地蔵盆の送り火の頃、8月23~25日に行われます。
お盆に各家に帰ってきたご先祖様の精霊達が、子孫(ご存命のご家族)に見送られながら、16日に現世と来世(あの世)の境に存在する近くの森の山に集まり、8月24日の地蔵盆の前後まで留まっていて、そこから帰っていくものとの昔からの云い伝えがあり、「森の山まつり」は、その送り火をする行事にあたります。
「森の山まつり」のクライマックスは、夜8時より執り行われる「流れ灌頂」(お焚き上げ)があり、参拝者が森の山の地蔵堂に納めた木羽仏と称する小さなお塔婆、灯明、焼香、供物などが酒田大仏の前に運ばれ、お焚き上げされます。ライトアップされた酒田大仏が見守る中、高く立ちのぼる炎を見上げながら、参拝者はいつまでも祈り続けます。
「森の山まつり」は、そのような「先祖の精霊の集う場・とき」である「森の山」から、「先祖の精霊」を来世にお送りする行事といえるでしょう。

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